「本を読むのはいいことだ」は真実か?
子どもの頃から、「本を読むのは良いことだ」と言われてきた。
両親は二人とも本が好きで、書店に行けば、本だけは自由に買い与えてくれた。まだ電子書籍なんてなかった時代だ。
そんな環境もあってか、私は小さい頃から、図書館に一日中入り浸っているような子どもだったらしい。
ところが。
「インプットだけで、本当に価値があるのだろうか」ということを、大人になってからは薄々感じ始めていた。
たとえば日本には昔から「本の虫」という言葉がある。子供の頃の自分を象徴しているような言葉だが、最近ではどことなく揶揄する響きのある、ネガティブな表現のようにさえ思っていた。
そんなときに出会ったのが、この本だ。
著者は成毛眞氏。マイクロソフト日本法人の元社長で、書評サイト「HONZ」の代表をされている方だ。
表紙の時点で、「大衆を脱出したけりゃ情報を吐き出せ」という一文に目が留まるが、上述の私の抱えていたモヤモヤとした懸念は、以下の一節で確信に変わった。
—---------------------
今の時代、情報収集、勉強をして、知識、教養をため込んで満足しているようでは、もうダメだ。得た情報をどう発信して、自分の血肉とするのか、価値あるものに変えていくのか、もっとわかりやすく言えば、「お金」に変えるのかを意識せよ。
—---------------------
耳が痛かった。やはり、インプットだけでは「もうダメ」なのだ。
「アウトプット」の重要性
それどころか、このようにも語られている。
「アウトプットが不足している人間は、魅力がない。何を考えているかがわからない」
耳どころか、全身ノックアウトダウンだ。これまでの自分は「魅力がない」人間だと断定されてしまった。
本を読むだけで(インプットするだけで)、自分は学んでいるつもりだったが、その実、何もしていないのと等しかったのだ。
しかし、今からでもアウトプットを始めれば、まだ希望はあるということも示唆されている。
—---------------------
・アウトプットを意識的に行っているビジネスパーソンは極小だ。私の実感としては全体の0.1%にも満たない。となるとアウトプットするだけで、圧倒的多数の他者と簡単に差別化が図れることになる。
・「人間からインプットを受けて、何らかの編集をして、アウトプットをする仕事」は奪われない。
—----------------------
アウトプットするだけで、「希少性」があり、「差別化」になる。つまりこれからの時代の大きな「武器」になるということだ。
読書メモ
(※個人的なメモのため、一字一句が本文と同じではありません)
アウトプットが不足している人間は、魅力がない。何を考えているかがわからない。当然だ。何を考えているかを実現することも、アウトプットだから。何を考えているかわからない人間は、周りから関心や効果をもたれることがない。むしろ恐怖感を与える。アウトプット不足は損をする。
文章の才能は、SNSがここまで普及した今となっては、他のどの才能よりも見つけられやすい。
なるべく平易な言葉に置き換える。一文の長さは短ければ短いほど良い。
私はネットに書く文章では、漢字の割合は多くても3割になるように意識している。そこまで減らすコツは、まず、熟語を使わない。老爺、老婆はおじいさん、おばあさんでよい。また、「出かけました」のような術述にあたる部分は、ひらがなにしても違和感が少ないので積極的にひらがなにする。
漢字をかなにすることを業界用語で「ひらく」と言うが、どんどんとひらいていく。たったこれだけのテクニックでも、文章へのとりつきやすさはがらりと変わる。アウトプットを届ける先が広がるのだ。
私の好きな文章のパターンは、結論から入り、それに「なぜならば」と続くタイプの文章だ。結論が最初にあると、「なるほどそうか」と読む側は安心してその先を読み進めることができる。後ろに「なぜならば」とあればなおさらだ。
レビューを通じて副収入を得てもらうことはそれほど難しくない。はっきり言えば簡単だ。文章を書くというアウトプットで収入を得たいと考えている人がいるなら、文章を売ろうとは思わないことだ。それよりも、文章で何かを売り、そこからアフィリエイト収入を得た方がいい。アマゾンは本の紹介料を3%としている。本を1冊書く手間と、レビューを1本書く手間とは、雲泥の差だ。それで10%と3%なら、3%でも決して悪くない。だから、文章を売るのではなく、文章で売ることを勧めるのだ。
「デジカメがあれば、初めて行った土地の電車やバスの時刻表を撮れるので、帰りが安心」
「ボイスレコーダーがあれば、病院で医師に難しいことを言われても、それを録音できるので、後で何度でも聞き返せる」
ジャパネットたかたのプレゼン。
「これは良い商品です」と言うのではなく、良い商品という結論を導く材料を提供している。
プレゼンではできるだけ、資料は配布しない方が良い。理由は2つある。まず、人は資料を配られると、先に最後まで目を通したくなってしまうからだ。配布しなくてはならない場合には、投影用と配布用は、作り分けるのが原則だ。もう一つの理由は、資料が一人歩きする可能性があることだ。一人歩きした資料は誤解の元だ。
私はMicrosoftの社長だったことがあり、HONZを主催しており、本も何冊か出しているが、それでもまず、他人の記憶に残らない。びっくりするほど覚えられていない。
もしも講演会へ行くなら、知識を仕入れるためではなく、登壇者と親しくなるために行くべきだ。わざわざ時間を使って講演会へ行くなら、そこまで徹底したリターンをもぎ取りに行くべきだ。そうでないのなら自宅でTEDを見ていれば良い。
古今亭志ん朝の落語を聴くべき。存命なら柳家小三治で決まりだ。
世間話、雑談は一見、無駄に感じられる。しかし実際には、想像もしなかった場所への着地を可能にしてくれることがある。そこは、仕事の話だけをしてしていては絶対にたどり着けない境地だ。
本を10冊同時に読む。同じ分野の本は併読しない。何冊か読みたいと思っても、1ジャンルは1冊までだ。
オーディオブックや要約版はあまりオススメしない。読めば学べた表現も、聞いてしまってスルーすることになる。オーディオブックで聞いた話を、また改めて読もうとする人は少ないだろう。すると、オーディオブックで聞いてさえいなければ読んだかもしれない本を読むチャンスを失うことになるのだ。なので、通勤時間にオーディオブックを聞いている人がいるなら、即座に止めるべきだ。だったら代わりに落語を聞いたほうがいい。
専門的な言葉はなるべく使わない。専門用語を使わないことは、その分野のプロではないことを、暗黙のうちに宣言することだからだ。なぜ、素人であることを明かしたほうがいいのか。それは、プロから教えてもらえるかもしれないからだ。
インプットは、SNSなどではなく、書籍やNHKの番組などに頼ったほうがいい。一方、アウトプットに関しては、臆してはならない。
自分の脳ではなく、パソコンやスマホなどの外部記憶装置にメモを残しておく。
単に「古い家、買いませんか」ではなく、「レアで2つとない年季の入った建材買いませんか」という提案をするのだ。これが、他人がスルーしている現象をマネタイズしながらアウトプットする唯一の方法だ。
警戒心を弱めてもらう方法はある。それは、相手の仕事をリスペクトしていることを伝える。ここで重要なのはリスペクトの対象を相手の存在そのものではなく、アウトプットとすることだ。そして、ここは見落としがちだが、作品や作物ばかりがアウトプットではない。弟子や後継者も含まれる。
嫌々仕事をしているサラリーマンの子供は伸びない。子供にはよくわからない会社という場所に出かけていって、そこはどうも面白くなさそうで、それで金のために通っている親を持つ子は伸びないのだ。
AIに奪われない仕事の大半は、会社に所属していなくてもできるものばかりだ。アウトプットには様々あるが、起業こそが最もリターンの期待できるアウトプットと言える。
全サラリーマンへの警鐘
そして、本書の最後の一節は、全てのサラリーマンに警鐘を鳴らす内容だ。
—-------------------------
メガバンクが何万人という単位でリストラを進めると言っている以上、その影響は、地銀、信金、回り回ってあらゆる企業に及び、サラリーマンは激減する。いつまでもサラリーマンではいられないのだ。サラリーマン失格と言われる日を待つのか、早々に自分から見切りをつけるのか、この差は大きい。
—------------------------
誤解のないように申し添えておくと、この本には「文章術」や「読書術」といった実用的な部分に関しても、非常に興味深い内容が多く書かれている。
ただ、自分としてはこの「生き方」や「スタンス」にあたる部分で、特に大きな影響を受けた。
「アウトプット」することによって価値を生み、不確実なこの時代をサバイブしていきたい。
そんなことを考えさせられた一冊でした。
おすすめ関連記事
『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった(岸田奈美/小学館/コルク)』は、親の死後に読んではいけない。
『読みたいことを、書けばいい(田中泰延/ダイヤモンド社)』を読んで、ビジネス書なのに声を出して笑った。