父の三回忌で思い出したこと
先日、父の三回忌があった。
思い返せば、がんが発覚してから亡くなるまでは、急展開の連続で、体感的にはあっという間(実際は半年程度)だった。
そんなことを回顧していた時、以前読んだ本書のことを思い出した。
自分もそうだが、人間はなぜか、「何げない今日が永遠に続く」かのように生きてしまう。
それが当たり前でないことに、本書はタイトルだけで気づかせてくれる。
例えば。
私は週末は原則、朝イチから近所の喫茶店に行き、読書や、このブログを書くことを日課にしている。
でも、本日は朝から雨の日曜日。
目が覚めた時、「今日はこのまま二度寝して、ダラダラと過ごしたい」と思った。
だがその時、本書のこの一節が頭に浮かんだ。
「きっと将来、自分はベッドから動けなくなるだろうが、その頃の自分から今の自分を見たらとても羨ましく思えるだろうし、時間を粗末にしたことを後悔するだろう」
数秒後にはベッドから飛び起き、外出の支度を始めていた。
遠くない将来、自分も必ずそのような年齢になるし、もしかしたら事故や病気で、それが今日や明日になるかもしれないのだ、と気づいたからだ。
そして今、いつもの喫茶店でこのブログを書いている。
抜き書きメモ
(※個人的なメモのため、本文と一字一句同じではありません)
「自分の人生がいつ終わりを迎えるのかは誰にもわからない。だからこそ、今生きている瞬間をかけがえのないものとして大切にしてほしい」
(27歳でがんによりこの世を去ったオーストラリア人女性の最後のメッセージ)
がんの原因の中で最も大きな要因は喫煙。
「普通の生活ができることって、当たり前のことじゃないんですよね。そう思うと感謝の気持ちが溢れてきます」
今日一日があることに感謝する。
死を意識して初めて、当たり前だと思っていたことへの感謝が生まれます。
「実は今日一日を生きていることが当たり前のことではないんだ」
時間が永遠に続くと錯覚していると一日を粗末にしてしまいがちですが、時間が限られているとすると、一日一日がとても貴重に思えてくるわけです。
今日健康で1日を過ごせることはありがたいこと。
「メメント・モリ(死を思え)」
「確かに世の中には他人を傷つけるような人もいるが、人間というのは基本的にはあたたかいものではないか」という感覚が芽生えた。
がんになった多くの方が、「がんになったことで、他人の苦しみに共感できる素地のようなものができた」とおっしゃいます。
誰もが、いつ何が起きるかわからない世界を生きている。
「すみません」より「ありがとう」。
「今、自分が健康で過ごせていること」に感謝の念が湧いてきました。
きっと将来、自分はベッドから動けなくなるだろうが、その頃の自分から今の自分を見たらとても羨ましく思えるだろうし、時間を粗末にしたことを後悔するだろう。
「今日一日はいつ失われるかわからないものである」
死を見つめることは、どう生きるかを見つめること。有限を意識することは、「大切な今を無駄にしないで生きよう」という心構えにつながり、人生を豊かにします。
「普通の日の連続」が幸せ。
一年後自分が病床に伏していると仮定したら、一年後の自分が今の自分を振り返る際に、今の生き方を後悔しませんか。
私は、自分の死というものを普段から積極的に考えるようにしています。私は学生時代に自動車の無謀運転で、一歩間違えれば死んでしまっていたようなことが実際にありました。私もあそこで死んでいたのかもしれないな、と考えると、今生きていること、時間が与えられていることをしみじみと感じ、温かい感覚に包まれます。
「もしあの時こうだったら命に関わっていたかもしれないな」という体験があれば、その記憶を大切にしてください。
「治療が成功し、今、生き延びた自分はやりたいことをやる人生を大事にしたいと思うようになりました。一日一日を大切に過ごしたい。今を生きなければ意味ないと強く思います。病気になるまでは、色んな人に気を遣っていた人生だったなと。死ぬ時は一人だと知っていると、周りを気にしていた自分って何なんだって心底思うんです。今起きていることはただの『普通』ではない。『普通』の連続が『幸せ』なんです」(岸田徹さん)
「今日一日をこのように過ごせることは当たり前ではない」ということを意識することは、「今、ここにある自分」を大切に生きることにつながるでしょう。
「死」を意識して初めて、生きることの光を感じる。人生の期限を意識することは、日々を粗末にせずに自分らしい生き方にシフトするための大きな動機付けになるのです。
まとめ
本文にも出てくる「メメント・モリ(死を思え)」という言葉。
大好きなMr.Childrenの『花』という曲の副題でもある。
子どもだった発売当時はその意味が全くわからずにいたが、今回、当時のことを思い出すと同時に、この言葉に対する自分の捉え方が大きく変わっていることに気づいた。
これからも、「死」を意識しながら、大切な残りの「生」を全うしていきたいと思った。