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『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった(岸田奈美)』は、親の死後に読んではいけない。

2022年11月6日

いだゆ

長野県出身。関東圏で働くサラリーマン。
明治大学を卒業後、オンワード樫山、ジョンソン・エンド・ジョンソン等に勤務。
趣味は読書(年間200冊ほど)、旅、犬猫。
【Twitter】@tabihonkoe
【Note】https://note.com/yuki423

「良い本」の定義とは

一昨年、父親が亡くなった。68歳だった。

悲しみに暮れつつも、やれ葬式だ、四十九日だ、一周忌だと過ごしていく中で、ふと、以前読んだこの本のことを思い出した。

 

ところで、「良い本」の定義とは何だろうか。

それはもちろん、「学び」が多いことだろう。

いやいや、「感動」も捨てがたい。

何を言う、「笑い」だって大事じゃないか。

その3つが、ヤクルト1000配合の乳酸菌のごとく高密度で詰まっているのが、この本だ。

 

この本は、著者である岸田奈美さんのご家族を描いた物語だ。

もともとは、「弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった」というWEB記事を読んだことがきっかけで、一発で岸田さんと、ご家族と、岸田さんの書く文章のファンになった。

 

とても明るくみんなから愛される、万引きを疑われた弟さん。

美人でポジティブな、赤べこになったお母さん。

そして、著者が中学2年生の時に亡くなられてしまった、「めちゃくちゃ面白くて大好きだった」という、お父さん。

 

このご家族を描いた物語の全てが、とにかく笑えるし、学びがある。

 

例えば、お仕事で訪問された時の、ミャンマーの方々の考え方がわかるエピソード。

「徳を積む」「輪廻転生」とは何か、

お国によってこんなにも考え方が違うのか、

と考えさせられた。

 

例えば、球場でホットコーヒーの売り子担当となった、岸田さんの奮闘記。

逆境をネタにできる力、さらにはいくつもの工夫によってそれを乗り越える力には、とても学ばされた。

 

そして、下記のような岸田さんの「考え方(視点)の変化」にも、ハッとさせられる点が多かった。

 

・「歩けないなら死んだ方がマシ」ではなく「歩けなくてもできることは何だろう」と、私と母は考えるようになった。

・「助けるってのは、声をかけて身体を動かすより、視点を動かして相手のことを思うことかもしれない」

・「歩けないから、見えないから、聴こえないから、気づけることがある。障害は価値(バリュー)に変えられる」

 

読んだのは2度目にもかかわらず、全俺が泣いた。

そして家族にも勧めた。そしたら全家族が泣いた。

 

読書メモ

(※個人的なメモのため、一字一句が本文と同じではありません)

投資家の藤野英人さんにこんな話を聞いた。「日常でお金を使うか迷った時は、投資の視点で考えるといいよ。自分にとって一番、リターンの大きい使い方をするように」。私にとって、大きいリターンってなんだろう。それはやっぱり、母や弟と、行ったことのない場所に行くことだと思った。

良太を見てみろ。当たり前のことをうまくやれなくたって、彼の人生はうまくいっている。楽しくやれてる。楽しくやらない方が、損なのだ。

それからしばらくして、私は会社へと復帰した。良太の見よう見まねで、くよくよ悩むことをやめてみた。人の目を気にすることをやめてみた。

命と引きかえになったものもある。母は下半身の感覚を全て失った。一生歩けなくなったのだ。「車いす生活になるけど、命が助かってよかったわ」。母は笑っていた。

それまで歩けていた人が、急に歩けなくなるというのは、想像を絶する苦しみだ。ベッドから起き上がるどころか、寝返りも打てない日々が続いた。

楽しみにしていたお店は、ぜんぶ階段があったり、通路が狭かったりして、車椅子では入ることができなかった。歩いていた時は、こんなの気づかなかったのに。

「2億パーセント、大丈夫!」

「歩けないなら死んだ方がマシ」ではなく「歩けなくてもできることは何だろう」と、私と母は考えるようになった。

いつの間にか、看護師や理学療法士なども集まってくるようになった。みんな母に話を聞いてもらいたいのだ。予約表なるものがベッドサイドに登場した時、私は度肝を抜かれた。

それは絶対に仕事にした方がいい、という私の説得により、母は猛勉強の末、心理セラピストになった。今では聞き上手どころか話し上手にすらなってしまい、年間180回以上の講演をしている。

彼らはみんな、徳を積んでいたのだ。車椅子に乗る母を、助けることによって。彼らは、彼ら自身の来世のために助けたのだから、相手からお礼を言われることの方が珍しいそうだ。

「輪廻転生には、障害者は前世で悪いことをした人って言う考え方もあるんです」。ミャンマーの農村地域では、障害者が生まれると、ずっと納屋に閉じ込めて隠し通すことすらもあるそうだ。

ニューヨークは多様な人が入り混じる街なんだよ。性別、年齢、国籍、宗教も違う人が当たり前に一緒に暮らしてる。それだけみんな、考えてることもバラバラなんだ。

助けるってのは、声をかけて身体を動かすより、視点を動かして相手のことを思うことかもしれない。

「何かできることはありますか」と、一言聞くだけでいいんだ。助けなきゃって押し付けるでも、見て見ぬふりをするのでもない。

「歩けなくなったからって、諦めなくていいんだ」と気づいた母は、覚醒した。なんと手動運転装置なるものを駆使し、両手だけで車を運転する免許を取った。今では沖縄に行くと、レンタカーをブイブイ乗り回している。

「子どもたちのために強くならなって思ったら、無敵やわ」

「岸田さんの文章はね、落語家と一緒だよ。読めば、目の前で登場人物や情景が動いているみたいに感じる。それで、何度読んでも笑える」

それから、とにかく創意工夫をこらした。まず出勤日を、比較的冷え込む日のナイターや、雨予報の日に絞った。最終的にmixiの甲子園球場コミュニティを見つけ、そこに潜り込み「売り子だけど一人でコーヒー売らされてる助けて」と書き込み、お情けの力を惜しみなく使って1日数十杯を売り上げた。そんなこんなで、私は歴代で最も多くのコーヒーを売った女になった。

帰り道、梅田駅の紀伊國屋書店に駆け込んで、有り金をはたいてデザインの本を購入した。その後なんとなくデザインができるようになったので、調子の良いことは言ってみるもんである。

歩けないから、見えないから、聴こえないから、気づけることがある。障害は価値(バリュー)に変えられる。

朝は大学で講義を受け、昼は営業に行き、夕方はまた大学に戻って、夜はオフィスで会議をした。それ以外の行動は何もかも惜しくて、寝袋にくるまって寝た。

しんどかった。でもそれ以上に、楽しかった。自分が手を動かせば動かすほど、車いすの母と行ける場所が増えていく。

「歩けへんくなってから、初めて誰かからありがとうって言われたかもしれへん」
「こんな私でもまだ、誰かの役に立てたんや」

ドラゴン桜は本当にすごかった。特に漫画に出てくるメモリーツリーという暗記の方法は、受験だけでなく社会人になった今でも愛用している、かけがえのないテクニックだ。

知識は人に説明できるようになり、初めて理解できたと言える。この考え方が体に染み付いているおかげで、私は書くということを仕事にできている。

「まあ別に死なねえならいっかな、で最近は判断してる」。
「死ななきゃ、なんとかなっちゃうよ」。
(幡野さん)

悲観は気分、楽観は意思。

他人に迷惑をかけるなんて申し訳ないから、一人で解決しなければと躍起になっていた。でも、幡野さんの話を聞いて、申し訳なさで死ぬことはねえなと思ったので、いっそ泣いて頼ることにした。

自分が嫌いだと、他人に評価を求めようとする。

 

まとめ

記事タイトルの「親の死後に読んではいけない」には、2つの意味がある。

1つは、シンプルに涙腺が崩壊するから。

そしてもう1つは、親孝行をしたくなってしまうからだ。したくなっても、その相手がもうこの世にはいない、というのは、これ以上なく悲しいことだからだ。

ぜひ多くの人に(できればご両親がご健在なうちに)読んでほしい一冊です。

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