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1.希望(インドに到着)
「そうだ、インド、行こう」。
ふと思い立ったその先は、京都ではなかった。
軽い気持ちで決めた、初めてのインドへの旅。しかも、一人旅だ。
2020年2月、僕はデリーの空港に降り立った。
蒸し暑い風、砂埃で濁り切った空気、おびただしい人数の客引き・・。
空港を出てすぐに、それまでは見聞きしていただけの「インドらしさ」を存分に浴び倒した僕。
旅特有の高揚感に浸るのに、長い時間はかからなかった。
まずはUberに乗り、予約していたホテルにチェックイン。
民族衣装を身にまとったインド美女が部屋まで案内してくれ、謎の赤い塗料をおでこに塗ってくれた。
鏡の中には、「インドに浮かれてるアジア人」のお手本みたいなやつがいた。
さらに、その美女はウェルカムチャイまで出してくれた。
「ウェルカムといえばシャンパン」という、港区女子みたいな思考(偏見だ)とは対局にいる僕でも、このホスピタリティには感激した。
いいぞ、到着からここまでは、極めて順調だ。
誰だ、「インドは難易度が高い。ましてや一人旅なんて、やめておけ」なんて言ったやつは。
気を良くした僕は、すぐさま街へと出た。
ちなみに僕には友達がいないので、「なんて言ったやつ」、なんてやつはいない。
まずは、翌朝向かうタージマハル行きの電車のチケットを買うために、ニューデリー駅へ。
ところが、どこをどう探しても、ネットで調べたその切符売場が見つけられない。
数十分さまよって分かったのは、どうやら日本で言うところの、「JRとメトロの駅が別々でめっちゃ離れてる」的なトラップだったようだが、無事にたどり着き、チケットを買うことができた。
この旅初めての想定外だ。だが、「旅の醍醐味は想定外にこそある」、なんて名言めいたモットーを持つ僕としては、むしろその「旅らしさ」にテンションを上げてさえいた。
そろそろ夕食にしよう。インド旅行、初めての食事だ。
やはり「これぞインド」的なものが食べたい。ガイドブックをめくる僕の目に、ある文言が飛び込んできた。
「タンドリーチキン発祥の店」。
これだ、これしかない。インド一食目にふさわしい肩書だ。
僕はすぐにUberを呼び、その店に向かった。
インド一食目は素晴らしいものだった。看板のタンドリーチキンはもちろん、カレーにナン、ラッシーまでが全て美味かった。
上機嫌で店を出た僕は、ホテルへ戻ろうと、またiphoneでUberを開いた。
ところで僕は元来、どちらかと言うと用心深い方の人間だ。
ましてや海外ならなおさらだ。これまで海外には10数カ国は行っているが、トラブルに遭ったことは皆無。
むしろ、用心深すぎるが故に、純粋な好意や親切で声をかけてきてくれた人に冷たい対応をとってしまい、後で自己嫌悪に陥る、なんて経験をザラにしてきた。
今振り返ると、なぜあの瞬間、危機意識があれほどまでに低下してしまっていたのか、自分でもわからない。
「大きな道の近くの方が、ドライバーもわかりやすいだろう」、そう考えた僕は、あろうことかスマホでUberを見ながら、大通りの方へフラフラと近づいていった。
その時だ。
2.強奪(初日にiphoneを引ったくられる)
右の背後すぐ近くに、一瞬、人影を感じた。
あまりにも急で、そして不自然なほど近くに感じた気配だったが、お人好しにも「自分が邪魔だったかな」くらいに思った僕は、「Excuse Me」と言って少し左に避け、通り道を作ってあげようとした。
その時だ。
その人影は、ものすごい速さで僕が右手に持っていたiphoneを引ったくり、全速力で走り出した。
何が起きたのかわからず、一瞬、思考が停止した。
だが次の瞬間には、本能が「絶対に取り返せ」と叫んでいた。
スマホのテクノロジーに依存しきったこの文明において、iphoneを異国の地で失うことは、死を意味するといっても過言ではないからだ。
考えるより先に、ダッシュで相手を追いかけ始めていた。
後で色々と冷静に調べたら、「最悪の場合、命の危険があるので、犯罪に巻き込まれても、追いかけたり、やり返したりしない方が良い」的なアドバイスを目にしたが、その時はとにかく必死に捕まえようと走った。
これでも短距離・長距離走ともに自信はあるクチだ。
少しずつ相手への距離が縮まり、「追いつける」、そう思った。その時だ。(しつこい)
走って逃げる奴の先に、待ち構えていたバイクが見えた。
「やられた、仲間がいた」。
そう思った刹那、奴はそのバイクに飛び乗り、勢いよくバイクは走り出した。
絶対に追いつけるはずがないのに、受け入れ難いこの状況に、僕はしばらく走ることをやめず、追いかけ続けた。
バイクが遥か彼方に見えなくなってようやく、僕は足を止めた。
食事の直後に急激に走ったからか、「これからどうしたらいいのか」という恐怖からか、急激に吐き気を催し、せっかくの「インド一食目」をほとんど戻してしまった。
走った、転んだ、既に満身創痍だ。
脳内にリフレインするBUNP OF CHICKENを聴きながら、トボトボとレストランまでの道を戻った。
追いかけていた時は一瞬の出来事のように感じられたが、歩いてみると、思った以上に遠い所まで来ていた。
どうしようもならないと分かってはいたが、レストランのスタッフに事情を話してみた。
しかしやはり、彼らも困った表情を浮かべただけだったので、僕は諦めて「タクシーを呼んで欲しい」とだけ頼んだ。
とりあえず、ホテルに戻って考えよう、それしか考えられない状況だった。
ところが、彼らはタクシーを呼ぶでもなく、通りかかったバイクタクシーを捕まえてきた。
インドとはいえ、2月の夜は寒い。
むき出しのバイクタクシーでガタガタ震えながら、寒さも手伝って泣きそうになった。
3.絶望(無事に日本に帰れるのか?)
寒さと不安で泣きながらバイクタクシーに運ばれ、僕はホテルに到着した。
翌日はタージ・マハルのあるアグラに行くために、早朝の電車に乗る必要があった。
しかし、考えるべきこと、調べるべきことは山のようにある。
そして、何かを調べたくても、その役割のほぼ100%を担ってきたiPhoneを失ってしまった。
おそらく一般的には、警察に届けたり、大使館に助けを求めでもした方が良いのかもしれない。
しかし、やっとの思いで仕事を調整し、土日に有給3日間をくっつけ、ようやくもぎ取った5連休でのインド旅行だ。
絶対に自分の描いたスケジュール通りに行動したい。タージマハルも見たいし、ガンジス河にも浸かりたい。
僕は、腹を括った。届け出や捜索活動の一切をせず、明日以降も予定通りに行動することを決めた。
ほとんど眠れずに、朝を迎えた。
辺りは、僕の心情を映すかのように、まだ真っ暗だ。
とりあえず、ニューデリーの駅まで行かなければならない。昨夜、チケットを買うために右往左往した、あの駅だ。
普段だったら、Uberでタクシーを呼び、車の到着状況でも見ながら、優雅にロビーに下りていけば良い。
しかし今はそれもできないので、流しのタクシーを捕まえるしかないかなと、かなり時間に余裕を持ってホテルを出た。
実際にはその心配も杞憂に終わり、ホテルのドアマンらしきおっちゃんがタクシーを呼んでくれて、僕は無事にデリー駅に到着した。第一関門突破だ。
ホッとしたのも束の間、第二関門はすぐそこにあった。
自分の乗る列車が、どこのホームに来るのか、さっぱりわからないのだ。
日本のように、整備された案内表示や電光掲示板などない。時刻通りに来るわけでもない。
仮にホームまでは見当がついても、乗る車両がどこなのかもわからない。
とりあえず近くにいたおっちゃんに英語で聞いてみたら、キョトン顔をされてしまった。
身振り手振りを交え必死にコミュニケーションを試みたところ、何とか正解っぽい場所に辿りつくことができた。
余談になるが、以前、イタリアのベネチア駅から、ナポリに向かう高速列車に乗ったことがある。
その時は駅員らしき人に尋ねたのだが、英語は通じたものの、とても対応が冷たく、寂しい気持ちになった記憶がある。
それと比べたら、言葉が通じなくても、キョトンおじさんの方が1億倍ありがたかった。
キョトンおじさんのおかげで、無事に列車に乗り込むことができた。
「出だしで大きく躓いたけど、本当の旅はここから始まるんだ」
そんな淡い希望は、またしても打ち砕かれることになるのだが、その時の僕はまだ知る由もなかった。
4.光明(家族と連絡が取れ、念願のタージマハルへ)
タージマハルのあるアーグラに向け、無事に列車は走り出した。
一等車を取っていたので、駅の混沌さとは対照的に、車内はすこぶる快適だった。
2席×2列で計4席の、日本の特急や新幹線と同じような座席。
予想外にも、途中で朝食的なものがサーブされたが、
「インドでは、確実に信頼のおける出所からの食べ物以外は、お腹を壊す可能性があるから手をつけない」
とガイドブックから学んでいた僕は、華麗にスルーを決めた。
食後(食べてないけど)、広大な地平線から昇る朝日を眺めながら、列車に揺られているうちに、ふと気がついた。
そういえば、この旅に僕は、ipad miniも持ってきていたのだ。
いや、実を言えば、ipad miniがあることは、うっすらと意識の中で知覚していた。
ただ、当時(mini5)は、映画を見たり、雑誌や本を読んだりする程度で、それ以外の機能は全てiphoneに依存しきっていたこともあってか、ipad miniがこの状況下で「使える」という意識が全くなかったのだ。
しかし、当然ながらipad miniでも、LINEもできるし、Gmailもできる。(幸い、ポケットWifiは持っていた)
今考えると、なぜそんなことに気が付かなかったのかと思うけれど、よほど前夜の事件で混乱していたのだと思う。
それに気がついた途端、一気に希望の光が見えてきた。
実は、「旅程を当初予定通りにこなす」、ということを決意したのはいいが、やはり異国で手元に何も情報端末がないという状況は、かなり不安なものだったのだ。
まず、日本にいる妻に連絡を取ってみた。
GmailとLINEで状況を伝えたところ、すぐにLINE電話での着信があった。
しかし、電波に限界があるのか、通話での意思疎通は全くままならかった。
何通かのLINEのやりとりで、ようやく今の状況を伝えることができた。
後で聞いたところ、妻はこの時、実家で家族と一緒にいたそうで、「なんか旦那が異国でえらいことになっててウケる」となっていたそうな。ウケる。
ちなみにこれは後でジワリと効いてくるのだが、Uberは確か「携帯電話からの認証」的な作業が必要で、そもそもその携帯電話が無い状況なので、使えるようにはならなかった。
そうこうしているうちに、列車はタージマハルのあるアーグラ駅に到着した。
社内では、隣席のインド人男性と仲良くなり、自分が先に降りる際には一緒に記念撮影をした。
心温まる交流にほっこりしていたが、ここはインドだ。列車を降りたら、また気を引き締めてかからねばならない。
駅に到着した僕がトイレを探していると、声をかけてくる人間がいた。
どこからどう見ても、客引きフェイスをしたインド人だ。
昨夜の事件があり、完全に人間不信になっていた僕は、ずっと無視を決め込んでいたのだが、この男がまあしつこい。
仕方なく「トイレに行きたいんだ(だから付いてくるな)」と言ったら、「トイレはこっちだ」と教えてくる。
トイレを済ませたら、当然のように外で待ち構えている。
そして「どこに行くんだ?」と聞いてきた。
やはりというか、バイクタクシーの運転手だった。
Uberもどうせ使えないし、色々と面倒くさくなっていた僕は、「タージマハルだ」と答えた。
「タージマハルもいいが、1日チャーターしてくれたら、色んな所を案内してやる」と彼は言った。
「タージマハルに送るだけなら〇〇ルピー、1日チャーターなら△△ルピーだ」と。
細かい金額は忘れたが、これがまた「それなら絶対に1日チャーターの方がいいだろ」と思わせるような価格設定だった。
「ラーメン500円、チャーハン500円、ラーメン&チャーハン600円」みたいな。四則演算と加減乗除の概念が崩壊する。どうでもいいけど、「加減乗除」と聞くとなぜか「諸行無常」が浮かぶ。
「ここまで来たら、もうとことん流れに身を任せてみるのも面白いかもしれない」。僕はそう思い始めていた。
その判断をこの先で後悔することになるのだが、それはまた、別の話。
5.対決(商魂逞しいインド人たち)
流れに身を任せることを決めた僕は、彼のバイクタクシーに乗ることにした。
もう名前も忘れてしまったが、便宜上、彼をAと呼ぶことにする。
まず向かうのはもちろん、タージマハルだ。
しかし、走り出して10秒後には「やっぱりやめておけばよかった」と後悔しはじめた。
バイクタクシーの座席は、ほぼ外だ。
日中ならともかく、朝の時間帯には寒すぎるのだ。
ガタガタ震えている僕に、Aは振り返り、メモ用紙らしき束を渡してきた。
聞けば、今までに彼が乗せた客の直筆メッセージだという。
いわば「お客様の声」的な営業ツールだ。なかなか気の利いたビジネスマンみたいなことをする。
そして「俺が乗せたお客さんはみんな喜んでくれた。どうだ、良いことばかり書いてあるだろう?」とドヤ顔で自慢してきた。
しかし、よくよく聞いてみると、彼は日本語が読めないという。どないやねん。
そして、その「お客様の声」には、そこそこ微妙な意見もちらほら書かれていた。なんでやねん。
そんなこんなで、タージマハルに到着した。
Aは、チケット売り場の場所を教えてくれて、「2時間後くらいにここで待ってるから」と、目印となる待ち合わせ場所を教えてくれた。
この頃には僕は、「どうなることかと心配してたけど、意外と悪くないかもしれない」と思い始めていた。
そこから2時間ほど、タージマハルを満喫した。
それは、息を飲むほどに美しい光景だった。
大昔によくもまあこんな美しい建築物を造れたものだ、と一人感動していると、「写真を撮ってあげるよ」と、インド人らしきおっちゃんが話しかけてきた。
昨夜、iphoneを強奪されたばかりの僕は、さすがに警戒したが、せっかくなのでちゃんと自分も写った写真も撮りたいと思い、ipadを渡してみることにした。タージマハルの敷地内なので当然バイクはいないし、仮にダッシュ勝負になっても、このおっちゃんには勝てると踏んだからだ。
しかし結果的には、写真を撮り終えると、おっちゃんは爽やかにどこかへ行ってしまった。ただの親切な人だった。ごめん。
タージマハルを十分に満喫し、出口を出た。
ふと、せっかくなので周りも見ておきたいと思い、少しくらいならいいかと、さっきAに言われていた待ち合わせ場所とは逆の方向へプラプラ歩いてみた。
するとすぐに、誰かに後ろから肩を叩かれた。振り返れば奴(A)がいた。「どこへ行くんだ」と。こわい。
このあたりからまた、嫌な予感がし始めていた。
案の定、Aは「食事はどうだ」と聞いてきた。まだ腹も減っていなかったのでやんわり拒否したが、少し走ると、勝手に飲食店らしき建物の前で停車した。
その店は薄暗く、他に客は誰もいなかった。どう考えても癒着している飲食店だ。
「やられた」と思いつつも、これがインドというものかと諦め半分で、大してうまくもないカレーと割高なコーラを流し込み、店を出た。
怪しげな展開は、さらに続いた。
Aは今度は「土産は欲しくないか」と聞いてきた。
最悪、インドでカレーを食べるのは悪くないが、怪しげな土産物は絶対にいらない。僕は明確に拒絶した。
しかしAは、またしても勝手に、土産物屋らしき店の前に停車した。
なるほど、そういうビジネスモデルか。ここまで来てようやく僕は状況を理解した。
ならば受けて立ってやる。ジャパニーズをナメるなよ。
これから先、日本人観光客がカモにされないためにも、俺が一矢報いてやる。
そう決意し、店内に足を踏み入れた。
〜続く〜